小林秀一が巨人ドラフト1位指名を拒否した理由とその後は?経歴についても

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6月23日放送の「消えた天才」で85年に及ぶ巨人の歴史の中で唯一巨人ドラフト1位指名を蹴った天才が取り上げられました。

その天才の名は小林秀一です。

小林秀一が巨人のドラフト1位指名を断った理由と高校はどこなのか、現在の職業など経歴をまとめました。

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小林秀一の高校はどこ?プロフィールまとめ

(引用:スポニチAnnex)

  • 名前:小林秀一(こばやしひでかず)
  • 生年月日/年齢:1951年4月20日(68)
  • 出身地:熊本県浅草郡大矢野町(現:上天草市)
  • 選手歴:八代第一高等学校→愛知学院大学→熊谷組
  • ポジション:投手

小林秀一の学生時代

小林秀一は小学校の頃から野球を始めポジションは投手でした。

1967年に八代第一高等学校、現在の秀岳館高等学校に進学します。

高校1年生の時にオーバースローだったのをアンダースローに転向。

1969年の高3の時に夏の甲子園県予選を勝ち抜き中九州大会に進出し決勝戦まで勝ち進むも大分商業に敗れ甲子園出場を逃しました。

1970年には愛知学院大学に進学し4年生の時にはエースとして活躍します。

小林秀一は大学の春季リーグで投手として8勝を挙げ、優勝に貢献し、最優秀選手に選ばれています。

また全日本大学野球選手権大会では決勝までいくが敗退し準優勝となりました。

日米大学野球選手権大会の日本代表にも選出されプロから注目を集めます。

熊谷組で社会人野球をした後、監督に

同年のドラフト会議では巨人からドラフト1位指名を受けるも拒否し熊谷組(建設会社)に就職し社会人野球の世界へと進みました。

熊谷組では8年間在籍して活躍した後、母校である愛知学院大学の野球部監督に就任します。

監督時代は愛知大学野球リーグで15年12回の優勝を成し遂げるなど功績を残しました。

現在の職業は

監督をしていた小林秀一さんでしたが、

脳梗塞で倒れたことが原因で

現在は愛知学院大学で教養部の准教授をしています。

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小林秀一が巨人の1位指名を蹴った理由

小林秀一が巨人のドラフト1位を蹴った理由は

  • 野球を仕事として選んでいたわけではない
  • 指導者としてやっていきたい

という思いがあったからだといわれています。

巨人から指名を受け、野球を仕事にすることに戸惑いがあり、悩んでいたところを入団交渉のためやってきた川上哲治監督に

「野球で君をほしいと思っている」

と言われ、この言葉で断ることを決意したとそうです。

また指導者になりたかった小林秀一は当時の「柳川事件」の影響でプロに入ると野球の指導者になるのが難しくこともドラフトを蹴った理由だそうです。

 

柳川事件とは?

簡単に説明するとプロとアマチュア野球の間に規約があり、3月1日から10月31日まではプロ球団が社会人野球選手をスカウトするのを禁止されていました。

禁止する理由は社会人野球の重要な大会の前に引き抜かれると困るからです。

しかし、プロ野球側がこのルールを破りったことで、プロとアマの関係が断絶になり、これに高校野球界も同調し、プロ野球のOBは学生野球の指導者にはなれないとされていました。

現在は協定も変わり、指導者になる場合特別な研修を受ければ指導者になれるようです。

柳川事件がなかったら、当時から規約が今の感じだったら、小林秀一も巨人の1位指名を受けていたかもしれません。

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まとめ

以上、小林秀一が巨人のドラフト1位指名を断った理由と高校、現在の職業などの経歴でした。

もし巨人のドラフトを受けていたらプロ野球界でも歴史に残る人物になっていたのかも?

これからも学生を指導する立場として野球のさらなる発展に貢献するよう頑張ってほしいです!

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